【何者】早川千絵の学歴やwiki経歴!出身高校や大学について調査!

映画監督・早川千絵さんって何者?

気になる学歴や出身高校、大学での留学経験から映画監督になるまでの経歴を詳しくご紹介します。

作品だけじゃなく、その背景にも“物語”が詰まっている早川千絵さんの素顔に迫ります!

目次

早川千絵の学歴と大学の実力は?

①出身高校はどこ?

映画監督として注目されている早川千絵さん。彼女の学歴や大学での経験が、どんなふうに今のキャリアにつながっているのかを深掘りしていきますね。

まず、早川千絵さんの出身高校についてですが、正式には公表されていません。

ただ、生まれも育ちも東京都であることは分かっていて、都内の高校に通っていたというのが有力な説です。

高校時代から映画に強く惹かれていたようで、学校が終わると映画館に通う日々だったとインタビューで語っていました。

まさに、青春のほとんどを映画と過ごしたような日々だったみたいです。

勉強一辺倒というよりは、感受性を大事にしながら、自分の好奇心や興味を優先して生きていた印象を受けます。

その感覚が、今の独特な作品づくりにもつながっているのかもしれませんね。

出身校が明かされていない分、ますますその高校時代が気になっちゃいますよね。

②大学はNYの名門美大!

高校卒業後、早川さんは単身でアメリカ・ニューヨークに留学。

進学先は、「ニューヨーク州立ファッション工科大学(FIT)」の映像学科だったそうです。

FITといえばファッション系の名門として有名ですが、実は映像やアートにもとても力を入れている大学なんですよね。

そこでは映像理論や技術だけでなく、感性や社会への視点も学べるカリキュラムになっていて、彼女にとってすごく刺激的な環境だったようです。

実際、留学時代の経験がその後の作品にも大きな影響を与えていると語っていて、「表現は社会の中でこそ意味がある」と感じたのもこの頃だったとか。

海外の美大って、型にはまらない自由な発想が求められる場所でもあるので、まさに彼女のスタイルにぴったりだったんじゃないでしょうか。

ニューヨークという刺激的な街の中で、日々映画やアートに触れて過ごしていたなんて、本当に羨ましい限りです!

③ENBUゼミナールでの再挑戦!

大学卒業後も、ニューヨークで映像関連の仕事に携わっていた早川さんですが、「自分で作品を作りたい」という思いが強くなっていったそうです。

そして日本に帰国後、今度は映画制作を本格的に学び直すためにENBUゼミナールへ入学します。

ENBUといえば、演劇や映画制作の実践力を養う学校として、プロの監督たちが多く教えていることで知られていますよね。

そこで彼女が作った卒業制作『ナイアガラ』が、なんとカンヌ国際映画祭のシネフォンダシオン部門に入選!

さらにぴあフィルムフェスティバルではグランプリも受賞するなど、一気に注目を集めるきっかけになりました。

この作品がのちの『PLAN75』につながっていくと考えると、ENBUでの学び直しが本当に大きな転機だったんだなと感じます。

自分のやりたいことに正直に、何度でもチャレンジする姿がとてもかっこいいですよね。

早川千絵のwiki風経歴まとめ

①ニューヨークでの社会経験

大学卒業後も、しばらくはニューヨークで働きながら生活を続けていた早川さん。

映像制作会社で編集やサポート業務を担当しながら、時には日本語教師のアルバイトもしていたというエピソードも。

いわゆる“華やかなキャリア”というよりは、地に足をつけてじっくり積み重ねてきた感じがしますよね。

海外での生活は大変なことも多かったはずですが、そうした異文化との出会いが、今の作品に深い厚みを与えているように思います。

この時期に培った「社会を観察する視点」が、のちに“PLAN75”のようなリアルで考えさせられる作品につながっていったのかもしれません。

日々の暮らしの中にこそ、映画の種があるっていうことを体現しているようです。

この経験が、帰国後の彼女の大きな原動力になったんだと思います。

②帰国後のWOWOW時代

日本に戻ってからは、放送局WOWOWに勤務していた時期もあります。

主に映画やドラマなどの字幕編集、映像翻訳、番組調整などを担当していたそうです。

この時の経験が、彼女の「観客目線で映画を作る力」を養ったきっかけになったと話しています。

見る側の視点と、届ける側の視点の両方を持つことで、作品に深みが出るんですよね。

また、放送業界の仕組みや制作の裏側を知ることで、演出や脚本の構造にも精通するようになっていったとのこと。

現場のリアルを知っているからこそ、リアリティのある描写ができるのかもしれません。

意外と知られていないこのWOWOW時代、実は今の作風のルーツかもしれませんね。

③映画監督としての転機

転機となったのは、ENBUゼミナールで制作した短編映画『ナイアガラ』がカンヌに入選したこと。

それをきっかけに国内外で注目されるようになり、2018年には是枝裕和監修の『十年 Ten Years Japan』に参加

その中の「PLAN75」は、少子高齢社会をテーマにした作品で、観る人の心に強く残る内容でした。

この短編が話題を呼び、ついに長編映画『PLAN75』として2022年に公開。

第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品され、カメラドール特別表彰を受賞。

まさに、映画監督としての地位を世界に知らしめた瞬間でした。

そこに至るまでの地道な積み重ねを思うと、本当に感動的ですよね。

早川千絵のプロフィール

項目内容
名前早川千絵(はやかわ ちえ)
生年1976年(東京都出身)
学歴FIT映像学科卒業、ENBUゼミナール修了
職業映画監督・脚本家・ENBUゼミ講師
主な作品『ナイアガラ』『PLAN75』『Ten Years Japan』

早川さんは、いわゆる“順風満帆”な道ではなく、自分の意志で何度も道を切り開いてきた人。

その生き方と姿勢が、多くの人に勇気を与えているんですよね。

これからの作品にも、ますます期待が高まります!

まとめ

早川千絵さんは、NYの名門美大で映像を学び、ENBUゼミナールで再挑戦を果たした映画監督です。

カンヌ映画祭でも評価された実力派で、作品には彼女自身の人生がしっかり反映されています。

これからも彼女の創る世界に注目していきたいですね!

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